★ミス・ブランチ★
故・倉俣史朗の名作中の名作
昭和9年、東京で生まれた倉俣史朗氏。
幼少期の記憶で、戦争時に空襲で米軍が落して行ったアルミがキラキラ光って綺麗だったと語りました。
1956年に桑沢デザイン研究所・リビングデザイン科を卒業し、「ドムス」誌(世界的に有名なイタリアの建築雑誌)
のイタリアモダンデザインに出会ってから、この本に認めてもらえるようなデザインを作りたいと志したそうです。
目標設定がステキです!
1965年には自身の事務所である「クラマタデザイン事務所」を設立
1967年頃から高松次郎やグラフィックデザイナー 横尾忠則とのコラボレーションした内装などを手掛け、一気に注目を浴びます。
そして1969年、夢だった「ドムス」誌に作品を持ちこみ、後に掲載される事に!
1988年の発売当初の価格がなんと200万円!
全て手作りだったため56脚しか生産されず、
サザビーズなどの海外のオークションでは1000万以上の値がつき、
ピーク時には5000万円を超えていたとも言われています。
そもそも脚数が56脚しかなく、そのうちの数脚はMoMA(ニューヨーク近代美術館)や
ヴィトラ・デザインミュージアム、サンフランシスコ近代美術館、
パリ装飾美術館などの美術館に永久コレクションされており実際に取引されている数は56脚よりもかなり少ないはずです。
1脚は元サッカー日本代表の中田英寿さんが持っているそう!
このミス・ブランチはテネシー・ウイリアムズの戯曲「欲望という名の電車」の女主人公ミス・ブランチ・デュボワが着ていたバラ模様の衣裳からインスピレーションを得たそうです。
この椅子は無職透明のアクリル樹脂にバラの造花が埋め込まれていて、ひとつひとつ丁寧にピンセットで造花を固定し、アクリル樹脂の中に固定するという作業は非常に手間ひまをかけたハンドメイドになります。
まるで空間の中にバラの花が浮遊しているような印象を受けますが、これこそがまさに倉俣史朗が目指している浮遊感・透明感というテーマを具現化していると思います。
また、家具をアート作品として扱うことを好まなかった倉俣氏は、
椅子としての機能、「座る」ということもギリギリ可能なように配慮されています。
斬新な素材と新しい発想によって椅子という家具を芸術作品の域にまで高めてしまった名作アイテム。
海外での評価も非常に高く、持っていることがステータスであり、家宝ともなりえるような作品です。
海外オークションに参加して、ミス・ブランチを落札してその座り心地というものを体感してみたいでね。